第2編 歴史

第1章 原始・古代

第3節 弥生時代

 

家屋形土器

 大正5年、東郷町内で入母屋(もや)造りの家の形をした高さ18ほどの特殊な土器が見つかった(口絵の写真を参照)。器形の詳しい説明は、第三編の「指定文化財」の章に譲るが、全国的に珍しいもので、国の重要美術品に指定されている。後述する国の重要文化財・子持ち勾玉(まがたま)(高辻出土・古墳時代)と共に、東郷町を代表する遺物の1つである。

 この土器は、底部に直径8センチメートルほどの穴があることから、当初、古墳時代の家型埴輪(後述)の一部と誤認されたこともあった(『鳥取県史』)。しかし、棟の中央部に大きな壺状の口縁部を取り付けていること、山陰の弥生式土器の特徴とされる貝殻文が一部に見られることなどから、家屋形弥生式土器とするのが定説になっている。

 その後、岡山県倉敷市内で、高さ35センチメートルの円筒状の器台の上に家が乗った同様の土器が見つかった。倉敷市など吉備地方では、弥生時代の末期に、墳墓に特殊な壺や器台を供える儀礼が行われていたといい(『倉吉市史』)、その供献の器として使われたものと思われる。このことから、東郷町出土の家屋形土器も、もとは、底部の穴に器台が付いていたと想像される。しかも、かつては前面に丹(に)塗りが施されていたらしい痕跡も認められる。倉敷出土のものと同様、墓前に捧げられた儀礼用の特殊器台と考えられる。時期的には、弥生時代末期から古墳時代初頭の製造とみられ、当時の政治的先進地であった吉備地方との交流をもしのばせる遺物である。

 

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