第2編 歴史
第1章 原始・古代
第3節 弥生時代
藤津・大鼻遺跡
藤津の字「大鼻」一帯、すなわち厚生年金鳥取ふじつ荘が建つ辺りは、大鼻遺跡と呼ばれている。
昭和9年、現在のふじつ荘付近の道路の新設工事中に、4個の並列した袋状の横穴群が発見された。郷土史家の故・谷田亀寿が緊急調査を行い、その結果を『宇野村郷土史』、『羽合史前編』などに紹介している。それによると、発見現場は遺物の見える内壁の奥部だけが残されていたといい、藤津から宮内に向かう最初の横穴から土器片と炭化米、2番目の穴から土器片、シジミ・カキ・赤貝・イガイ・ウニの殻、タイなどの魚の骨、釣り針に使用したとみられる骨片、クロダイらしい鱗片(うろこ)、長さ3センチメートルほどの丸みのある鉄片、石斧、叩(たた)き石、平石、3番目と4番目の穴からは土器片が、それぞれ見つかった。
特に2番目の横穴からは、前記のもののほか、判別不能の多くの磯貝、湖貝が消し炭とともにぎっしり詰まっていたという。
4つの横穴は、3番目が少し小さく、あとは高さ1.2〜1.3メートル、幅1.3〜2.3メートルあった。
谷田は、出土した土器片、石器、鉄片などから、この横穴群を弥生時代中期から後期の遺跡と推定している。道路新設の結果、現在は全く痕跡が残っていないが、2番目の穴の遺物から、当時の貯蔵穴(倉庫)とみられる。
また、大鼻遺跡に近い宮内字「只津平」の農免道路(当時、現在は県道)工事中に、貯蔵穴と見られる横穴(一説に土壙墓)が発見された(宮内第五遺跡)が、詳細は不明である。