泊小学校の「貝がら節研究クラブ」に所属しているのは、清水晶弥さん、宮脇希望さん、林里咲さん、山本佳穂さん、天野沙耶さん、川田真由さんの6人。研究クラブは、保存会や地域の人にお世話になりながら、泊貝がら節の調査を開始。調査していく中で、泊貝がら節の誕生には、イタヤ貝が大きくかかわっていることがわかりました。
 ここでは、研究内容の一部と、この研究がきっかけとなった泊小学校の環境学習についてご紹介します。
 なお、研究クラブは昨年12月、鳥取環境大学で行われた「鳥取県小中高児童生徒地域研究発表会」において研究内容を発表し、小学生の部で最優秀賞を受賞しました。
 鳥取県沿岸では、昔から周期的にイタヤ貝が大発生することがあり、大発生した年は「貝がら年」と呼ばれていました。特に泊沖は発生する量が多く、県下の漁師たちが集まってきて、大変活気づきました。鳥取藩が記した1834(天保5)年の日誌には、「泊浦の繁栄言語に絶えたり」(泊が繁盛している様子は、言葉では言い表せない)と記されています。
 泊沖の漁場は、港から西北に約4km、宇谷と宇野の境目の沖で、海岸線からは約1kmの辺りでした。漁師たちは、先祖伝来の、山などを目印にする「山立て」という方法で、漁場を定めていました。
 昔の漁は鋤簾(じょれん)を海底に沈めて行い、船は櫓(ろ)か帆で漕いでいました。漁師にとっては、イタヤ貝でいっぱいになった鋤簾を引き上げるのが、特に重労働でした。ウインチなどで引き上げる際、けがなどをしないよう、夏場でも厚着をしていたので、なおさらでした。ちなみに、唄の最初の「ヤッシンコイ」とある「ヤッシン」とは、泊地域の方言で、重いものなどを持ち上げたりするときの掛け声です。
 イタヤ貝が泊沖で大発生したのは、昭和4年が最後で、現在はいないといっても過言ではありません。
 鳥取県栽培漁業センターは26年前から泊沖の水温を毎日記録していますが、当時に比べ、平均水温が1度上昇しています。このことによって海の環境が変わり、イタヤ貝がいなくなった可能性があります。
 イタヤ貝が戻ってくる海にする方法の一つに、ワカメの養殖があります。ワカメは、海が汚れる原因となるチッ素やリン、温暖化の原因となる二酸化炭素などを吸収します。吸収したワカメを育てたままにするのではなく、最後は刈り取ることが大事です。

 研究クラブは、研究する中で、泊貝がら節の原点であるイタヤ貝の大発生を自分たちの目で確かめたいと、そしてイタヤ貝の大発生が、泊貝がら節を引き継いでいくためには重要だと思いました。
 同クラブは、クラブ以外の泊小学校児童に声をかけ、ワカメの養殖にチャレンジ。鳥取県栽培漁業協会や泊漁協の協力を得ながら、ロープにワカメの種付けをし、泊新港で育て、刈り取りました。そして、刈り取ったワカメは、給食で食べたほか、お世話になった地域の人や、保存会の皆さんに配りました。