「泊貝がら節」は、「イタヤ貝」を漁獲する厳しい労働から生まれた唄といわれています。派手な鳴り物はなく、単調な太鼓の音に合わせて、豪快ではありますが、哀調を込めて切々とうたわれます。鳥取県の日本海沿岸部には同じような唄が多くあり、それぞれの地域で独特の節回しと歌詞があります。
 泊貝がら節がうたわれ始めたのは、今から約170年前となる、江戸時代後期といわれています。 昭和7年には、NHK松江放送局の開局記念の催しで、「泊貝殻節」として放送されましたが、その後、うたわれることは少なくなってしまいました。
 泊貝がら節が忘れられつつあった昭和48年、1本のテープの存在が明らかになりました。米村敏男さん(泊4区)が、泊貝がら節の歌い手であった、おばあさんの歌声を収録していたのです。このテープがきっかけとなり、同年の泊小学校運動会では、保護者と児童で、泊貝がら節を取り入れたマスゲームを披露することになり、同時に「泊貝がら節保存会」が設立されました。
 保存会は運動会で披露する際、泊貝がら節に、泊地域で昔からよく踊られている、「おぼこ踊り」を合わせてみようと考えました。当時の保護者であり、保存会のメンバーでもあった浦坂厚子さん(園)と松井鞠子さん(泊1区)は、おぼこ踊りに詳しい人を訪ねて、練習を開始。同時に、小学生や保護者への指導も行いました。運動会では、児童と保護者約400人が輪を作り、唄と踊りが組み合わさった泊貝がら節が、初めて住民に披露されました。
 その後、さまざまな事情により、保存会としての活動に陰りが見え始め、昭和63年、保存会は自然消滅的に解散し、同好会的な活動を行うようになります。各種大会などに出場することはあっても、伝承的な活動は少なくなり、泊小学校運動会で披露されることもなくなりました。
 そして昨年3月。保存会は再設立され、再び活動を始めます。保存会は、6月に開催される泊小学校運動会で披露するため、児童への指導を行いました。同小学校運動会で泊貝がら節が披露されるのは、昭和62年以来、23年ぶりです。
 保存会の指導を受けたり、運動会で踊ったりしたことをきっかけに、泊小学校の児童六人が泊貝がら節に興味を持ちました。そして児童は泊小学校の「貝がら節研究クラブ」に入り、泊貝がら節を研究していくことになります。