今回から人権意識を高める文学の旅というテーマで、連載します。
 私と小鳥と鈴と

わたしが両手をひろげても、
 お空はちっともとべないが、とべる小鳥は私のように、
 地面をはやくは走れない。
 
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
 たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥とそれから私、
みんなちがって、みんないい。
 
 お菓子

いたずらに一つかくした
弟のお菓子。
食べるもんかと思ってて
たべてしまった一つのお菓子。

お母さんが二つッていったら、
どうしよう。
 おいてみて
とってみてまたおいてみて、
それでも弟が来ないから、
たべてしまった
二つめのお菓子。
にがいお菓子
かなしいお菓子。     
ふしぎ

わたしはふしぎでたまらない
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

わたしはふしぎでたまらない、青いくわの実たべている、
かいこが白くなることが。

わたしはふしぎでたまらない、
だれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

わたしはふしぎでたまらない、
だれにきいてもわらってて、
あたりまえだということが。

 大漁

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。

 金子みすゞをこんなふうに親しみをこめて呼ぶ人がたくさんいます。
 金子みすゞは、今から七十年以上前に亡くなっています。 だから、実際にみすゞに会ったことのある人は、もうほとんどいないのです。それなのに、たくさんの人が、今もそばにいるように、みすゞさんと呼ぶのです。大切な人をよぶように、みすゞさんとー。
 それは、金子みすゞの童謡を読むと、誰もがきっと、やさしい、うれしい気持ちになるからでしょう。

 金子みすゞのよみがえりは、昭和五十七年六月二十日に始まりました。弟の上山雅輔、本名雅祐さんのところに、手書きの童謡集三さつが、大切に残っているのがわかった時からです。
 以来、矢崎節夫さんを中心に地元のスタッフの協力のもとに、この詩が、広められていったのです
 また、みすゞさんの生まれた山口県では、「みすゞタイム」として詩を詠む取組みに力を入れているそうです。
 先生は、この詩を読むことで『心』を伝えたいと思ったそうです。ゆっくり、一編ずつ読み聞かせ先生の感じたことを話していったのです。
 その結果、クラスの子どもたちが、心待ちにするようになりました。
 そんなある日、いじめられていた子のお母さんから手紙がきました。「最近、うちの子は、とてもよくご飯を食べるし、よくしゃべるようになりました。どうしたの? と聞いてみたら、いじめられなくなった、友達が、遊びにさそってくれるし、勉強も教えてくれるというのです。もううれしく、うれしくて…」
 みすゞの童謡が、いじめをなくしたと断言できないかもしれませんが、わたしは、なぜか、そう思いたいのですーと、と先生は、書いておられました。
 人は、だれでもやさしくなりたいのです。
  (金子みすゞ童謡集より)

 図書館にも関係図書があります。
★矢崎節夫氏…金子みすゞの 詩を世に広めた人