広報ゆりはま 1月号
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湯梨浜今昔物語                     いんでうおかわぶき ん  くとやみのちいきうささんいれどうじんぶつげ伯ほ耆一ノ宮と三み徳山三仏寺の投な入堂令和3年度人権標語最終選考の結果【最優秀賞】【優秀賞】多様性みんなで認めマスクでも傷つく言葉は認め合いみんなと進もう言われたらうれしくなるねあいさつは心をひらく「どうしたの?」その一言でつながろう突き抜ける手をつなぎあったか言葉小さな一歩救われるょうじうきょうづつなふゅげんどうがれづくりんげ町では、毎年7月から8月に人権標語を募集しています。今年は586点の応募がありました。応募作品の中から最優秀作品1点、優秀作品5点を実行委員会で選考し、昨年11月に開催した町人権教育推進大会で表彰しました。最終選考の結果は次のとおりです。最優秀作品は1年間、町の人権啓発に活用します。また、東伯郡同和対策協議会の人権標語募集において、亀谷茉希さんの作品が中学生の部の優秀賞に、桑原優彩さんの作品が小学生の部の最優秀賞に選ばれました。湯梨浜中学校1年 東郷小学校6年  湯梨浜中学校1年 湯梨浜中学校1年 湯梨浜中学校2年 湯梨浜中学校2年 亀谷茉希さん桑原優彩さん有澤弥輝さん蔵本明優さん濵田諒子さん梶尾秀汰さんは、706年役えの行ぎゃ者(修し験道の開祖)が、投げ込んで建立したと伝えられています(奈良が都に定められたのは710年)。現在の投入堂が建て替えられた時期は、用材の年輪の調査で、平安時代の1078年から数年の間に伐採されたものであると推定されています。一ノ宮の国宝銅ど経筒が埋納されたのが、1103年です。県史資料編 によると、大要以下のとおり記載されています。三徳山の守護神である蔵ざ王殿(投入堂)の桧ひ皮葺の屋根が大破したので、1375年(永えわ和元年)伯耆一ノ宮に住居する作州と伯耆両国一ノ宮兼帯の大工が、屋根替えをしたと伝えられています。舎弟正持、依子藤原有弘、同親弘、神延氏、橘正則、源時定以上七人云々とあり、これだけの一ノ宮専三徳山三仏寺の投入堂(国宝)三徳山投入堂の棟むだ札(『新鳥取古代中世2』参照)大工名は、左衛門大夫平持貞、属の大工を必要とするだけの建造物を有していたことが分かります。三徳山の投入堂は純然たる神社の建築様式で、全国に普及している「流な造」です。それは御祭神が「蔵王権ごん現」だからです。現在の一ノ宮の本殿も「流造」です。建て替え時には彩色を施した「権現造」とする設計となっていましたが、現在の様式に変更したといわれています。町文化財保護委員      米原 尊仁(藤津)伯耆一ノ宮の本殿26~多様性 みんなで認め つながろう~町教育委員会生涯学習・人権推進課(℡35-5369)人権教育シリーズvol.115共に生きる―

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