第2編 歴史
第4章 近代・現代
第6節 観光
 1  温泉街の発展

芸者・葉玉
 龍湯島には、芸者・葉玉がいたことが知られる。すなわち昭和13年に発行された『東郷村郷土読本』で、当時の生徒・松村蕗虹〈ふきこ〉は「その家(注・龍湯島)にはぎょくと言ふうつくしい声のげいしゃがゐて、しゃみせんが上手で、長うたやぎだいふがことにうまく、静かな夜は、そのうたふ美しい声としゃみせんの美しい音が東郷池にひきわたったと言ひます。やがてこの美しいはぎょくはひょうばんになって大へんなにんきをよんで、これを聞きたいこれを見たいで、はるばるよそから遊びに来る人で、大はんじゃうしたとのことです」と父兄から聞いた話を紹介している。
 旭・藤田初枝の談によると、この芸者は伊藤葉玉といった。『鳥取県史近代/第四巻/社会篇/文化篇』が、明治期に活躍した女性の1人として紹介している伊藤葉玉と同一人物と思われる。『同書』によると、彼女は鳥取士族の娘であったが、家が没落したため、芸で身を助けることになり、鳥取市川端の小屋で清元・常磐津などの江戸音曲を、明治35、6年まで歌い続けていたという。その後間もなく、龍湯島に移ったのではなかろうか。藤田の談によると、葉玉は龍湯島に両親と一緒に住み、時折養生館に招かれては得意の「サイサイ節」を披露したという。
 松村は続けて、「さうしたはんじゃうもかうしたにんきも、うつりかはる世の中とともにいつまでもつかず、美しいはぎょくも死に、にんきはおち、温泉は次第に出なくなるといふのでそのそのまになり、とうとう12・3年あとにその池のところはうめたてられて、今は島だけ残ってゐます」と記している。


龍湯島にいた芸者・葉玉
細面で切れ長の目をした美人である
(羽衣石・尾西久光提供)


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