第2編 歴史
第4章 近代・現代
第1節 行政組織
 1  行政組織の変遷

区長と区会議員
門田村区長事務所の印影
(門田村区所蔵の印鑑による)

 舎人村、東郷村など町村制に伴う新しい村名が生まれたことにより、北福・中興寺などの旧村名は大字名となり、「舎人村〈そん〉大字北福村〈むら〉」、「東郷村〈そん〉大字中興寺村〈むら〉」などと呼ばれることになった。
 同時に村には、末端の行政単位としての一面も新たに持たせられた。すなわち、明治22年11月、東郷村・松崎村組合では、各区(部落)に任期3年の区長を設置する条例が制定されている(前掲「村会決議要録」)。各区の区長が村長の補助者として位置づけられ、布告・布達の周知、納税督励など区内に関する補助事務を執行することになったのである。舎人・花見両村も、同じころに条例が制定されたと思われる(資料編107号2を参照)。こうした区長設置の背景には、土木・徴兵・保健衛生・諸税の上納など、国から町村に委任された事務の遂行のため、区の組織を大いに利用しようとする考えがあったといわれる(『鳥取県史』)。前掲「職員名簿」などから、各区(部落)ごとの区長の初見年月を表34に示した。なお、区長には勤務に相当する報酬が役場から支給された。条例に基づく区長制度は、昭和21年10月まで続いた。
 また、各区(部落)ごとに、区会議員が置かれていたことも知られる。資料編107号3に収録した「舎人村区会条例改正条例」によると、「各部落ニ所有スル財産及営造物ニ関スル事務ノ為メ町村制第百十四条ニ依リ区会ヲ設ク」とあり、定員は各区6人ずつ、任期や選挙方法は、町村会議員とほぼ同じであった。区会議員の氏名は、町役場所蔵の「職員名簿」に、花見村分が収録されている。それによると、各区とも、明治24年3月の選挙で一斉に選ばれている。
 なお、『羽合町史後編』によると、前述した各部落の呼称である「村〈むら〉」は、村〈そん〉名と混同しやすく不便も多かったため、大正3年11月から、東伯郡内の各町村で一斉に削除し、「舎人村大字北福」などと呼ばれることになったという。また、翌4年6月には、各部落の区会も廃止された。実際には区会で議決すべき事項もなく、無用の経費を省くことなどがその理由であった。前掲・花見村の「職員名簿」も、区会議員の当選記録は大正3年で終わっている。

表34 区長の初見年月日(町役場所蔵・各村「職員名簿から)

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