2編 歴史

3章 近世

4節 庶民の生活

6 温泉・東郷池の利用

 

薬湯としての利用

 前掲「御用日記」によれば、安政4年(1857)4月7日、小鹿谷の日比佐中から松崎の町年寄にあてて、「かねて相話し居り候腰痛今以ってさっぱり致さず(中略)、難儀致し候に付」、池中の湯を4、5荷(か)届けてほしい旨書面で依頼があった。その当時から池中の湯が腰痛に効能のあることが、経験的に分かっていたのであろう。鳥取県衛生試験所の「湖中泉分析書」によれば、浴用の適応症の中に神経痛、特に坐骨神経痛・神経炎などが挙げられている(『羽合町史後編』)。

 その返書に、「池中の湯の儀仰せ下させられ(中略)当月2日より湯竹かやり(倒れ)居り申候間、唯今猟(漁)師共え申し付け候へ共、今日は風強く、恐れながら今日間に合い申さず(中略)、上り次第、差上げ申し候間左様思召(おぼしめ)し(後略)」とある。ただ竹筒を差し込むだけの幼稚な方法であったから、風が強く吹けば波によって竹筒が流れたのであろう。結局11日になって、湯をくみ上げることができた。湯5荷を舟で積み帰り、さらに肩に担いで小鹿谷まで運んだ。この費用は町役所の取り計らいで、「汲(くみ)ニ行物(者)江壱匁、人歩(夫)小鹿行壱人ニ付五分ヅツ、五荷ニて弐匁五分、都合三匁五分」遣わしたとある。