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これまで、部落問題懇談会などで部落史について学習したことはありますが、江戸時代の身分制度による内容がほとんどでした。しかし、学校や地域社会において、多発する差別発言の内容には、学習したことがマイナスイメージとしてとらえられるケースがありました。
そこで鳥取市下味野隣保館の川口寿弘さんを講師に招き、各地区同和教育推進協議会の運営委員を対象に、研修会を実施しました。その内容をもとに、部落座談会で話し合われた地区もありました。 今後、さらに部落史の見直しを深めていく意味で一部ですが講演の内容を紹介します。 一、差別事件が問いかけること ○県糾弾会2003年8月の報告で教育現場での差別事件が40件ありました。 ○鳥取県で30年間同和教育が積み重ねられてきた中で起こっている危機感。告発する人がいないと差別事件にならないのです。 ○40件の特徴 エタ・ヒニンをセットにして使う。 今の子どもがエタ・ヒニンをどう認識しているかを聞き取る…エタ…低い身分・貧困・悲惨・人の嫌がる死牛馬の処理を強いられた。 差別される存在という印象が強く残り、子どもは、これは人を差別するときに使える言葉だなととらえてしまうのです。 ○子どもの意識は、周りの大人から教えられたもの、指導者のとらえようで差別事件を起こした子どものことを考える必要を感じるのです。 二、自己の部落史観を検証しよう (1)身分制度のとらえ方 士農工商 エタ・ヒニン(低い身分) 小学校六年生の教科書書き換えられる。なぜ?そういう事実がなかったという事が史実によって分かってきた。(関西大学 上杉總さん) ○士農工商=中国の古典に出てくる言葉で、皇帝からみて四民、人民一般という言葉です。 (2)「貧困悲惨な部落史像」から「多様な部落史像」へ ○米作りをしていた部落の人が圧倒的にいました。 ○死牛馬の処理、皮革業 人の嫌がる仕事と考えられていた。牛馬の皮…江戸時代、現金収入。一枚の皮で一年間生活できるほどの収入がありました。 ○江戸時代の人々は ○農業をやりながら竹細工、ぞうり、砥石作り、薬の製造、販売、灯心作り、運送業など ○農業だけをやっていた人は農民が村を捨てて逃げたため、荒れた田畑を開墾し、収穫量も多くなるので年貢量も多くなります。 ○また町や村の整備の仕事をしていた部落の人も全国各地にいます。その仕事をするにあたって、それに応じた現金収入がありました。 ○厳しい差別の中でも多様な生産、労働活動に従事し社会と文化の発展を支え、たくましく生きてきました。 ○江戸時代の部落の人への差別とは同じ食器を使わない、同じ住居(長屋)に住まない、結婚しない、祭りに参加させないなどでした。 三、部落問題は近代日本における社会問題 ○松方デフレ ○なぜ部落が貧困化したのか ○部落が立ち直っていく過程で、社会進出を阻むものがあった。 ○江戸時代と明治の近代では、社会のしくみが違うわけだから差別のありようが違う。 ○部落解放運動から学ぶ いろいろな時代の人たちの生活の営みの上に、今の私たちの生活があるのです。 以上が講演内容の一部です。 ○部落史観を見直す視点として ○歴史的な身分や人々の姿をどうとらえていくか (1)民衆の人権獲得の歴史としてのとらえ直し (2)差別を現実の価値観でとらえていないか (3)差別のありようは時代によって違う この視点をふまえて今後も学習を深めていきたいと思います。 |
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