本紙10月号の「本の広場」欄で紹介したように、11月8日(木)13時半から、ハワイアロハホールで東京大学史料編纂所主催の「デジタル画像システムでたどる湯梨浜町の歴史〜東郷荘絵図から750年〜」が開催されます。その内容を、東郷荘絵図を中心に詳しく紹介します。


 「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図(模写本)」
        東京大学史料編纂所所蔵 ⇒
・絵図の時代的な背景

 東郷荘絵図は、正式には「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」と呼ばれます。今から749年前の正嘉2(1258)年に描かれました。東郷湖を中心に今の湯梨浜町を形成する旧東郷・羽合・泊の地域が納まっています。

 中世の荘園を描いた絵図は全国に300点ほど伝わっていますが、なかでもこの東郷荘絵図が一番有名で、高校や中学の歴史の教科書に度々掲載されるなど、第一級品の史料として知られています。

 原本の大きさは縦127cm、横98cmほど。今回の催しの主催者である東京大学史料編纂所は模写本を所有しています。これは虫食いから折り目の跡に至るまで精密に模写していて、原本と寸分の違いもないといわれています。


・東郷荘絵図とは

 絵図が描かれた当時、東郷湖の周辺に広がる東郷荘は京都の松尾大社が領有する土地でした。平安時代の後半から、地方の豪族は荘園の支配権や管理権を確保するため、私有地を中央の貴族・社寺に寄進したといわれます。松尾大社が支配する東郷荘も、当地の豪族の寄進を受ける形で形成されたと考えられます。

 しかし、鎌倉幕府の時代になると、全国各地に任命された地頭が台頭し、荘園に対する支配力を強めていきました。先に述べた「下地中分」とは、荘園内の下地(田畑・山林・原野・河川など)の領有権を領家(松尾大社)と地頭の間で折半(中分)したことをいいます。東郷荘絵図は、まさにその区分の方法を示したものです。

▲天保絵図の一部(赤池付近)。土地の評価、面積などが書かれています

・幕府が認めた絵図

 二等分といっても、単純に東郷荘を南北の線で分けただけでは等分になりません。広大な羽合平野や橋津川河口の港も双方が等しく領有するために、絵図では境界線が4本の赤い色で引かれ、複雑な区分方法になっています。

 東郷荘絵図は、領家と地頭の双方が和解して荘園を2等分した証拠の品として作成され、鎌倉に持参されました。前述した四本の境界線の両端に2種類の花押(今でいうサインのようなもの)が見えますが、これは鎌倉幕府の実権を握っていた執権・北条長時と連署・北条政村のものです。時の権力者の花押を得て、この絵図の効力が初めて発生したと考えられています。



▲戦国・安土桃山時代の土地の売り渡しを記録した中世文書

・東大の研究成果

 東郷荘絵図をはじめ、町内には部落ごとに描かれた江戸時代末期の「天保絵図」や明治初年の「田畑地続字限絵図」、あるいは県内でも数が少ない門田・旧岡本家所蔵の中世文書(現在は町所有で町の指定文化財)など、各時代の貴重な記録が大量に残っています。

 これに着目した東京大学史料編纂所の研究グループが、数年前から町内の史料の写真撮影を始めました。そのデジタル画像をパソコンに組み込み、町の歴史が簡単にたどれるようなシステム化に取り組んできました。その成果を町で公表するのが、11月8日の催しです。

 例えば、東郷荘絵図と現在の地形図を同一画面に並べて対比させたり、従来の研究成果を基に東郷荘絵図に示された境界線を再現したり、あるいは前述の天保絵図や中世文書が簡単に引き出せたりする仕組みになっています。

・アンケートにご協力を

 東京大学の研究グループでは、今回の催しで地元の皆さんのご意見、ご要望をお聞きし、さらに充実したシステムを完成させたいそうです。当日のアンケートにご協力ください。その成果はDVDにして、いずれ町立図書館や学校などに配布される予定です。

 当日は入場無料です。郷土が誇る東郷荘絵図や町の歴史に興味をお持ちの人は、ぜひご参加ください。

 なお、東郷荘絵図のことは『東郷町誌』、『羽合町史前編』に詳しく解説されています。その記述の参考になった文献資料も、町立図書館では積極的に収集してきました。今回の催しを契機に町立図書館の資料も併せてご利用ください。