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先ごろ、作家・遠藤周作氏が小学生のころに書いた詩が岡山県の恩師の縁者の家で見つかり、文学的才能を予感させる作品として話題になりました。 遠藤周作氏は『海と毒薬』『沈黙』『わたしが・棄てた・女』などの話題作を発表した芥川賞作家です。その一方で「狐狸庵(こりあん)」先生として軽妙なエッセイを数多く書き、人気を集めました。昨年は没後十周年でした。 その周作氏には当地と深い縁があります。 かつて旧羽合町下浅津にあった遠藤家は、江戸時代に鳥取で藩医を務め、維新後同地に移り住んだ開業医でした。明治後期から終戦後まで当地で医業に当たったのは河津三氏で、旧東郷町長和田には出張診療所も設け繁盛したそうです(以上は、主に森納著『続因伯の医師たち』による)。 しかし、河津三氏には子どもがなかったため、鳥取市生まれの常久氏を養子に迎えます。その二男が周作氏です。 常久氏は医者にはならず、東京大学を卒業後、銀行に入ります。周作氏も東京で生まれ、小学校時代は満州で暮らしました。その後、両親の離婚で神戸市に帰り、灘中学、慶応義塾大学へと進み、作家への道を歩みます。 周作氏の著作『その夜のコニャック』(文芸春秋刊)に収録された小説「その一言」には、「故郷はどこ?」「鳥取の田舎。東郷池という湖があるの」などというセリフも出てきます。幼いころ、一度くらいは下浅津の祖父・河津三氏らを訪ねていたのかもしれません。 なお、旧羽合町では周作氏の講演会を開催したかったようですが、多忙だったのか実現しなかったといいます。 |
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