歴史・伝統
倭文神社(しとりじんじゃ)
一ノ宮は一国に一社存在し、当神社は伯耆一ノ宮で、広く安産の神として信仰されています。伝えによると大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘、下照姫命(したてるひめのみこと)が出雲からこの地に着き、この地に住居を定められたといわれています。社名は、この地方の主産業が倭文(しずおり)の織物であったことからきたものです。5月1日の例祭は、「一宮さん」として親しまれています。
宮戸弁天(みやどべんてん)
倭文(しとり)神社北西の東郷湖岸に大岩と鳥居があります。宮戸弁天と呼ばれ、宮内の七弁天の一つがまつられています。弁天様は美人の代表のようにいわれ、そのうえ、財福や知恵、長寿を与えてくださることでたいへん人気がありました。倭文神社にまつられている下照姫命(したてるひめのみこと)のお使いである白蛇伝説が言い伝えられています。
羽衣石城跡(うえしじょうあと)
標高372mの羽衣石山には、1990(平成2)年に建てられた模擬天守があります。山頂では、虎口(こぐち)跡や曲輪(くるわ)跡も確認されています。現在は公園として整備され、展望台のほか、登山道入り口に駐車場、トイレも完備されています。城跡からは湯梨浜町や日本海が一望できます。
浪人踊(ろうにんおどり)
踊りは松崎三区に継承されていたもので、400年の伝統と高い格調を持つ民俗芸能です。この踊りは戦国武士の供養のための踊りですが、その源流は念仏踊りに発します。現在は、水郷祭で披露され、保存会と子どもが揃いの黒装束に編み笠などを身にまとい、浪人姿で踊ります。鳥取県の無形民俗文化財に指定されています。
九品山会式(くほんさんえしき)
九品山大伝寺の開創は1024(万寿1)年で、大和の当麻寺(たいまでら)から中将姫(ちゅうじょうひめ)の遺跡を分移しています。その時、「当麻寺の練供養の儀式でお迎えし引き移したので、この周辺を引地という」と伝えられています。九品山会式は旧暦3月14日の日暮れから15日にかけて行われ、15日の午後は流れ勧請(かんじょう)の供養に続き、中将姫の練り供養が行われます。
長瀬高浜遺跡(ながせたかはまいせき)
長瀬高浜遺跡は、弥生時代から中世にかけての巨大複合遺跡で、下水道の終末処理場と国道建設に伴って発見されました。さまざまな発見がありましたが、中でも注目は一括して出土した埴輪です。高浜遺跡の埴輪は、国の重要文化財に指定されており、羽合歴史民俗資料館に常設展示されています。
北山古墳(きたやまこふん)
1980(昭和55)年に国の史跡に指定、山陰地方で最大の規模を誇る前方後円墳で、東郷湖南側に位置する小高い丘陵に築かれています。古墳の全長は110mで、後円部は直径70m高さ12m、前方部は長さ56m高さ11mです。5世紀前半に築かれたとみられ、埋葬施設から人骨のほか、勾玉(まがたま)、銅鏡、管玉(くだたま)などが出土しています。
銅経筒(どうきょうづつ)
1915(大正4)年、倭文(しとり)神社近くの山林から1103(康和5)年埋納の銅経筒が発見され、同時に金銅観音菩薩立像、銅鏡、短刀、るり玉など多数の遺物が出土しました。銅経筒は国宝に指定されており、経塚も国の史跡に指定されています。この銅経筒には「東郷」の文字が刻まれています。現在、この銅経筒は他の出土品とともに、東京国立博物館に展示されています。
小浜の銅鐸(こばまのどうたく)
1933(昭和8)年に小浜地区で原野を開墾中に発見されました。弥生時代後期のものと思われ、流水紋と呼ばれる美しい紋様を持ち、猿や亀、犬、鹿の姿が臼をつく人とともに線刻されています。2本の「舌(ぜつ):振り子」を伴って出土した全国で唯一の銅鐸です。現在、東京国立博物館所蔵です。
















